楯築墳丘墓
楯築墳丘墓
たてつきふんきゅうぼ
弥生時代末期の国内最大級王墓

楯築墳丘墓 墳頂部の列石
古墳探訪記80回目は岡山県倉敷市の楯築墳丘墓です。この墳墓は弥生時代末期の2世紀頃に築造されたもので、まだ前方後円墳などの古墳が成立する前の墳墓ですので、”楯築古墳”とは呼ばず、楯築墳丘墓や楯築遺跡と呼ばれています。

墳丘上にある祠と最大の列石
写真の列石は6.3tの重量があります。

楯築墳丘墓 墳頂部の列石

墳丘上にある祠と最大の列石
写真の列石は6.3tの重量があります。
楯築墳丘墓はやや歪んだ円形を呈する円丘部とその両側に長方形の突出部を持つ特異な形をしています。(下記の平面図、復元図参照)しかし、突出部の大部分は昭和40年代に行われた住宅地造成の際に破壊されてしまいました。消滅した突出部を含む全長は約80mと推定され、同時期の墳丘墓では全国でも最大級の大きさを誇ります。
昭和51年から平成元年にかけて、岡山大学考古学研究室が中心となって、発掘調査を実施し、遺跡の全体像が明らかとなりました。
5個の巨大な立石がある円丘部からは、2基の埋葬施設が確認されました。このうち中心主体部となる埋葬は、円丘中央部に掘られた長さ9mの巨大な墓壙(ぼこう)を伴い、木棺の外側を木の板で囲んだ木棺木槨(もっかんもっかく)構造であることがわかりました。木棺内には鉄剣1口と、勾玉や管玉、ガラス製小玉などの玉類が副葬されていた他、歯の小片2点も検出されました。また棺の底には総重量32kgを超える大量の水銀朱が分厚く敷き詰められていました。木棺の上方は大量の円礫で埋め戻されており、その中から特殊器台や特殊壺といった供献(きょうけん)土器をはじめ、人形土製品や土製の玉類などが出土しました。また、墳丘の脇にある収蔵庫に納められている旋帯文石(せんたいもんせき:国指定重要文化財)と同様の文様を持つ小形の石(弧帯文石:こたいもんせき)が、意図的に割られた状態で発見されており。この二つの石の関係が注目されます。
昭和51年から平成元年にかけて、岡山大学考古学研究室が中心となって、発掘調査を実施し、遺跡の全体像が明らかとなりました。
5個の巨大な立石がある円丘部からは、2基の埋葬施設が確認されました。このうち中心主体部となる埋葬は、円丘中央部に掘られた長さ9mの巨大な墓壙(ぼこう)を伴い、木棺の外側を木の板で囲んだ木棺木槨(もっかんもっかく)構造であることがわかりました。木棺内には鉄剣1口と、勾玉や管玉、ガラス製小玉などの玉類が副葬されていた他、歯の小片2点も検出されました。また棺の底には総重量32kgを超える大量の水銀朱が分厚く敷き詰められていました。木棺の上方は大量の円礫で埋め戻されており、その中から特殊器台や特殊壺といった供献(きょうけん)土器をはじめ、人形土製品や土製の玉類などが出土しました。また、墳丘の脇にある収蔵庫に納められている旋帯文石(せんたいもんせき:国指定重要文化財)と同様の文様を持つ小形の石(弧帯文石:こたいもんせき)が、意図的に割られた状態で発見されており。この二つの石の関係が注目されます。
(現地説明版より)
(現地説明版より)
楯築墳丘墓は、弥生時代から古墳時代にかけての墓制の変遷を考える上で重要な遺跡であるとして、昭和56年(1981年)に国の史跡に指定されています。これらの弥生時代末期の墳丘墓が、古墳時代の前方後円墳へと発展していく事になります。
(現地説明版より)
(現地説明版より)
《参考資料》
・現地説明版
🔳基本データ
・所在地 :岡山県倉敷市矢部
・墳丘規模・形状 :北東部と南西部に突出部を持つ円丘。突出部を併せると全長80m
・埋葬施設 :全長9mの木棺木槨(墓壙)
・出土物 :鉄剣1口と、勾玉や管玉、ガラス製小玉などの玉類が副葬されていた他、
歯の小片2点、木槨上部より特殊器台や特殊壺といった供献(きょうけん)土器
、人形土製品や土製の玉類
・築造時期 :2世紀末頃
・推定被葬者 :2世紀後半頃、吉備地方を治めた有力者
・アクセス :下記マップ参照ください。
・所在地 :岡山県倉敷市矢部
・墳丘規模・形状 :北東部と南西部に突出部を持つ円丘。突出部を併せると全長80m
・埋葬施設 :全長9mの木棺木槨(墓壙)
・出土物 :鉄剣1口と、勾玉や管玉、ガラス製小玉などの玉類が副葬されていた他、
歯の小片2点、木槨上部より特殊器台や特殊壺といった供献(きょうけん)土器
、人形土製品や土製の玉類
・築造時期 :2世紀末頃
・推定被葬者 :2世紀後半頃、吉備地方を治めた有力者
・アクセス :下記マップ参照ください。




このブログへのコメントはmuragonユーザー限定です。