王墓山古墳
王墓山古墳
おうぼさんこふん 古墳時代後期の吉備地方有力者の墓

王墓山古墳 墳丘
造成工事などでかなり削平、変形されてしまっています
古墳探訪記81回目は岡山県倉敷市の王墓山古墳です。この古墳は前回紹介した楯築墳丘墓の近くにあり、王墓の丘史跡公園内にあります。王墓の丘史跡公園内には王墓山古墳群が形成されており、王墓山古墳はその中でも盟主的な存在の古墳です。

王墓山古墳から出土した家形石棺

王墓山古墳 墳丘
造成工事などでかなり削平、変形されてしまっています

王墓山古墳から出土した家形石棺
王墓山古墳は古墳時代後期(6世紀後半頃)に造られた古墳です。かつての開墾や宅地造成などにより、墳丘はかなり変形を受けていましたが、元々は25m程度の規模を持つ円墳あるいは方墳であったと考えられています。
内部主体には横穴式石室を有していましたが、石室は明治末ごろに石材として切り出されたと言われ、今は見る事ができません。墳丘南東側に安置されている石棺は、この時に多量の副葬品とともに石室内から持ち出されたものです。(上写真参照)
石棺は7枚の石を組み合わせた家形石棺で、石材には井原市浪形で産出される貝殻石灰岩を用いています。同種の石棺を有する古墳は、総社市のこうもり塚古墳(79回目で紹介)など数例しか知られておらず、しかも有力な古墳に限られています。
出土遺物には、四仏四獣鏡をはじめ、金銅製馬具、鉄製武具、装身具類、須恵器など多種多量の副葬品が知られており、それらは現在東京国立博物館に収蔵されています。
内部主体には横穴式石室を有していましたが、石室は明治末ごろに石材として切り出されたと言われ、今は見る事ができません。墳丘南東側に安置されている石棺は、この時に多量の副葬品とともに石室内から持ち出されたものです。(上写真参照)
石棺は7枚の石を組み合わせた家形石棺で、石材には井原市浪形で産出される貝殻石灰岩を用いています。同種の石棺を有する古墳は、総社市のこうもり塚古墳(79回目で紹介)など数例しか知られておらず、しかも有力な古墳に限られています。
出土遺物には、四仏四獣鏡をはじめ、金銅製馬具、鉄製武具、装身具類、須恵器など多種多量の副葬品が知られており、それらは現在東京国立博物館に収蔵されています。
《参考資料》
・現地説明版
・日本古墳大辞典(東京堂出版)
・現地説明版
・日本古墳大辞典(東京堂出版)
🔳基本データ
・所在地 :岡山県倉敷市庄新町
・墳丘規模・形状 :径25m程度の円墳または方墳
・埋葬施設 :横穴式石室(明治時代に破壊されて残存せず)
・出土物 :四仏四獣鏡をはじめ、金銅製馬具、鉄製武具、装身具類、須恵器など
・築造時期 :6世紀後半頃
・推定被葬者 :6世紀に一帯を治めた有力豪族の首長(付近の群集墳は家来の墓?)
・アクセス :下記マップ参照ください。
・所在地 :岡山県倉敷市庄新町
・墳丘規模・形状 :径25m程度の円墳または方墳
・埋葬施設 :横穴式石室(明治時代に破壊されて残存せず)
・出土物 :四仏四獣鏡をはじめ、金銅製馬具、鉄製武具、装身具類、須恵器など
・築造時期 :6世紀後半頃
・推定被葬者 :6世紀に一帯を治めた有力豪族の首長(付近の群集墳は家来の墓?)
・アクセス :下記マップ参照ください。



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