ヒシアゲ古墳(磐之媛命陵)
ヒシアゲ古墳(磐之媛命陵)
ひしあげこふん(いわのひめのみことりょう)
南側に二重周濠を持つ前方後円墳
ひしあげこふん(いわのひめのみことりょう)
南側に二重周濠を持つ前方後円墳

ヒシアゲ古墳(磐之媛命陵) 拝所
(南側より) 古墳探訪記240回目は奈良市のヒシアゲ古墳です。前回紹介したコナベ古墳のすぐ北西に位置しています。全長219m、後円部径130m、後円部高さ16m、前方部幅145m、前方部高さ13mを測り、前方部を南側に向けています。佐紀盾列(さきたてなみ)古墳群の東群に属する古墳では2番目の大きさで、ウワナベ古墳よりはやや規模が下回ります。この古墳は宮内庁によって、仁徳天皇の皇后である磐之媛命(いわのひめのみこと)の平城坂上陵に治定されています。日本書紀には磐之媛命は没後、「奈良山に葬った」と記載されており、また平安時代の延喜式には「平城坂上墓」と記載されています。ヒシアゲ古墳は現在は磐之媛命の陵墓とされていますが、江戸時代には平城天皇陵とされていたこともあります。また、江戸時代に記された「大和志」には磐之媛命の陵墓を若草山の山頂にある鶯塚古墳を比定しています。当時から磐之媛命の陵墓がどの古墳に該当するのか、混乱していた状況が分かりますし、今現在でも明確になっていません。

ヒシアゲ古墳 墳丘測量図
(日本古墳大辞典より)

ヒシアゲ古墳 磐之媛命陵の標識

ヒシアゲ古墳 拝所への道
南側周濠の外堤上に歩道が続きます ヒシアゲ古墳の周囲には、水を湛えた周濠が巡っており、南側は二重の周濠になっており、外側の周濠についてはコの字型になっていて、南側の周濠が西側、及び東側へ部分的に延びる形状となっています。(上の墳丘測量図参照)この外側の周濠については元からあったものではなく、後世の灌漑用に掘られたものとする考えもあり、築造当初からあったものかよく分かっていません。周囲には古墳を取り巻くように周庭帯が巡っており、この一部を掘り下げて灌漑用の池にしたものが二重周濠のように見えている可能性もあるという事です。
古墳周囲を巡る道がなく、木も生い茂っていて 
ヒシアゲ古墳南側の外堤

ヒシアゲ古墳 遠望(中央の森)
コナベ古墳やウワナベ古墳のように古墳全景写真を
撮影することはできませんでした
(南西側より)

ヒシアゲ古墳 遠望(中央の森)
(北西側より)
北側の周濠
古墳周囲は鬱蒼した樹木に覆われていて、古墳全景を写せる場所はありません ヒシアゲ古墳は周濠外堤部から円筒埴輪が出土しており、その埴輪の年代が5世紀後半に該当することが分かっています。仁徳天皇の在位した時期は5世紀前半とされており、しかも磐之媛命は仁徳天皇の在位中に亡くなっていますので、記紀の記述と古墳の築造時期に乖離ができてしまっています。磐之媛命の陵墓として考古学的には5世紀後半の築造と考えられるウワナベ古墳の方が矛盾がないようです。
被葬者とされている磐之媛命は古代の大豪族である葛城襲津彦(かつらぎのそつひこ)の娘で、仁徳天皇の皇后とされる人物で、先に述べたように日本書紀には奈良山に葬られたとされています。それが陵墓の治定の根拠ですが、考古学的には出土した埴輪の年代が合わないなどの状況はありますが、記紀のしるされているような嫉妬深い女性であったのであれば、古墳の雰囲気としては、古墳周囲が鬱蒼とした樹木で囲われ、幽暗な雰囲気のあるヒシアゲ古墳が最も磐之媛命の陵墓にふさわしいように思えました。
ヒシアゲ古墳の埋葬施設については過去の記録もなく、全く不明ですが、築造時期的には竪穴式石室で、長持ち型石棺が納められているかもしれません。発掘調査すれば、いろいろな事が分かるかもしれませんが、まだまだ遠い先の事でしょう。ウワナベ古墳、コナベ古墳、ヒシアゲ古墳の3古墳の埋葬施設の全容が分かれば、より真の被葬者像に迫れるかもしれませんね。
被葬者とされている磐之媛命は古代の大豪族である葛城襲津彦(かつらぎのそつひこ)の娘で、仁徳天皇の皇后とされる人物で、先に述べたように日本書紀には奈良山に葬られたとされています。それが陵墓の治定の根拠ですが、考古学的には出土した埴輪の年代が合わないなどの状況はありますが、記紀のしるされているような嫉妬深い女性であったのであれば、古墳の雰囲気としては、古墳周囲が鬱蒼とした樹木で囲われ、幽暗な雰囲気のあるヒシアゲ古墳が最も磐之媛命の陵墓にふさわしいように思えました。
ヒシアゲ古墳の埋葬施設については過去の記録もなく、全く不明ですが、築造時期的には竪穴式石室で、長持ち型石棺が納められているかもしれません。発掘調査すれば、いろいろな事が分かるかもしれませんが、まだまだ遠い先の事でしょう。ウワナベ古墳、コナベ古墳、ヒシアゲ古墳の3古墳の埋葬施設の全容が分かれば、より真の被葬者像に迫れるかもしれませんね。
《参考資料》
・日本古墳大辞典(東京堂出版)
・「天皇陵」総覧(新人物往来社)
・「天皇陵」総覧(新人物往来社)
・大和の古墳を語る(六興出版)
🔳基本データ
所在地 :奈良県奈良市佐紀町
墳丘規模・形状 :全長219m、後円部径130m、同高さ16mの前方後方墳
埋葬施設 :不明
出土物 :古墳の周濠外堤から円筒埴輪が出土。
築造時期 :5世紀後半頃
推定被葬者 :不明だが、磐之媛命(いわのひめのみこと:仁徳天皇皇后)に治定されている
所在地 :奈良県奈良市佐紀町
墳丘規模・形状 :全長219m、後円部径130m、同高さ16mの前方後方墳
埋葬施設 :不明
出土物 :古墳の周濠外堤から円筒埴輪が出土。
築造時期 :5世紀後半頃
推定被葬者 :不明だが、磐之媛命(いわのひめのみこと:仁徳天皇皇后)に治定されている
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