御廟山古墳
御廟山古墳
ごびょうやまこふん
百舌鳥古墳群中第4位の規模を誇る前方後円墳

御廟山古墳 全景
手前が前方部、奥が後円部
(南西側より)
古墳探訪記251回目は大阪府堺市の御廟山古墳です。全長203m、後円部径113m、後円部高さ18m、前方部幅136m、同高さ18mを測る前方後円墳で、百舌鳥古墳群では、前々回に紹介した土師ニサンザイ古墳に次いで、4番目の大きさを誇ります。墳丘は3段築成で、西に前方部を向け、南側のみに造り出しが設けられています。墳丘の周囲にはかつて二重の周濠がありましたが、現在二重目の濠は埋没しています。

御廟山古墳 墳丘測量図
(現地説明版より)
発掘調査によって、墳丘の1段目のテラスには円筒埴輪が隙間なく並べられていたことが分かりました。また造り出しとその周辺からは囲(かこい)形埴輪と家形埴輪のほか、様々な形象埴輪やミニチュア土器、魚や笊(ざる)を表した土製品が見つかりました。これらは造り出しで行われた祭祀に使用されたものと推定されています。

くびれ部で検出した葺石と囲形埴輪
(現地説明版より)

御廟山古墳 全景
(南西側より望む)

御廟山古墳 前方部
(西側より望む)

前方部側(西側)にある説明版の位置から前方部を望む

後円部周囲の周濠の状況
(北側より)

後円部を望む
(東側より)
御廟山古墳は近世(江戸時代)頃には東にある百舌鳥八幡宮の奥の院が墳丘上に存在していましたが、現在は陵墓参考地に指定され、宮内庁の管理となっています。陪塚もいくつか周囲に存在していたようですが、現在は万代山(もずやま)古墳のみが残存しています。本墳の本格的な発掘調査はできませんので、埋葬施設や副葬品については不明ですが、古墳の周囲を巡る道があり、古墳をあらゆる角度から眺めることができます。
発掘された埴輪などから、御廟山古墳の築造時期は5世紀前半頃と推定されています。また陵墓参考地とされている想定被葬者としては応神天皇が想定されているそうです。応神天皇の陵墓は古市古墳群にある誉田山古墳がすでに治定されており、応神天皇の陵墓としても問題ない状況であることから、被葬者としては別の候補(例えば反正天皇など)を想定するほうが、良いように思います。
御廟山古墳は古墳周囲を散策できる道があって、古墳の写真をいろいろな角度から撮影することができますが、特に南西側から撮影するのが最も良いアングルでした。(下記写真参照)

御廟山古墳 全景
(南西側よりパノラマ撮影)
《参考資料》
・堺市ホームページ
・現地説明版
・日本古墳大辞典(東京堂出版)
🔳基本データ
所在地 :大阪府堺市北区百舌鳥本町
墳丘規模・形状 :全長203m、後円部径113m、同高さ18m、前方部幅136mの前方後円墳
埋葬施設 :不明
出土物 :円筒埴輪、囲(かこい)形埴輪、家形埴輪など
築造時期 :5世紀前半頃
推定被葬者 :不明(陵墓参考地の想定被葬者は応神天皇とされている)
アクセス :下記マップ参照ください。
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