土師ニサンザイ古墳
土師ニサンザイ古墳
はぜにさんざいこふん
百舌鳥古墳群中第3位の規模をもつ前方後円墳

土師ニサンザイ古墳 全景
百舌鳥古墳群で第3位の規模をもつ巨大古墳です
手前が前方部、奥が後円部です
(南東より)
古墳探訪記249回目は大阪府堺市の土師ニサンザイ古墳です。前回までは奈良市北方の佐紀盾列(さきたてなみ)古墳群の前方後円墳を紹介しましたが、今回から世界遺産にも指定された百舌鳥古墳群の巨大古墳を紹介したいと思います。いずれも世界遺産に指定された巨大古墳であり、知名度の高い古墳ばかりですが、まずは百舌鳥古墳群の中でも最も東よりにある土師ニサンザイ古墳を紹介します。

土師ニサンザイ古墳 全景
濠が広いので、巨大な前方後円墳を”黄金のアングル”で撮影ができます
地上からでも前方後円墳の形状や造り出しの突出部が分かります
(北西側より)
土師ニサンザイ古墳は全長290m、後円部径156m、同高さ24m、前方部幅226m、同高さ12.5mを測り、両側のくびれ部の造り出しを持っており、特に東側の造り出しの突出が顕著になっています。墳丘は3段築成で前方部の北西角において、円筒埴輪が検出されています。現在は濠は一重で水を満々と湛えていますが、昭和53年の堺市教育委員会による発掘調査で幅23m、深さ2.5mの外濠の存在が確認され、さらに外側には古墳を取り巻く周庭帯(しゅうていたい)と推測される地割が認められています。これらの範囲を含めますと、前方部の外周範囲の幅は500mにも及ぶ広大な領域となります。

土師ニサンザイ古墳の説明版と古墳の標識
古墳の西側にあります
世界遺産に指定されているだけに説明版も充実しています

土師ニサンザイ古墳の墳丘測量図
周囲の道路などに古墳を外濠の名残が認められます
(現地説明版より)

土師ニサンザイ古墳の前方部を望む
(西側より)

前方部を南から望む
土師ニサンザイ古墳は、巨大な前方後円墳のご多聞に漏れず、陵墓参考地となっており、墳丘は宮内庁、濠は堺市が管理しています。したがって、古墳は立入禁止で、発掘調査も実施されていませんので、古墳の埋葬施設や副葬品などは全く不明です。しかし、幅が大きく発達した前方部を有することから前方後円墳の中でも、後期の部類に入り、築造は5世紀後半頃と推定されています。また、かつて古墳の周囲には幾つかの陪塚がありましたが、宅地開発等ですべて消滅してしまったことは大変残念な事でした。
土師ニサンザイ古墳は現在、陵墓参考地とされていますが、その想定被葬者は第18代の反正天皇(はんぜいてんのう)とされています。反正天皇の陵墓はさらに西にある田出井山(たでいやま)古墳が治定されていますが、古墳の全長が148mであり、この時期の大王級の墳墓としては規模が小さいことから、規模の大きな土師ニサンザイ古墳のほうが反正天皇陵の可能性が高いのでは?という説が陵墓参考地とされる根拠となっています。日本書紀には反正天皇を「耳原の陵に葬った」とあり、耳原というのは、現在、仁徳天皇陵とされている大仙古墳や履中天皇陵とされているミサンザイ古墳が築かれている一帯と考えられていますので、大仙古墳の北側に位置する現在の田出井山古墳が反正天皇陵とされても、規模を除いては、それほど矛盾はないように思われます。

土師ニサンザイ古墳 全景
(南西側よりパノラマ撮影)
土師ニサンザイ古墳は前方部が発達した典型的な後期の前方後円墳の形状を有していて、その築造時期は5世紀後半から6世紀初頭あたりまで時代が下ると考えられており、5世紀前半頃に在位していたと推定される反正天皇の崩御した時期とは若干乖離があるようです。反正天皇は中国の史書「宋書倭国伝」に記された倭の五王「讃(さん)・珍(ちん)・済(せい)・興(こう)・武(ぶ)」の珍に比定する説が有力とされ、仮に珍に相当するとしますと西暦438年(5世紀前半)頃の在位と考えられ、土師ニサンザイ古墳の築造時期である5世紀後半とは約半世紀のずれがあります。しかしあくまでも推論の域をでない話ですので、反正天皇が候補の一人に挙げられる、という事に留めておきたいと思います。
土師ニサンザイ古墳は東側を除いてほぼ全周から古墳を眺める事ができ、古墳周囲の道は散歩道のようになっていて、地元の人々の憩いの場所になっているようでした。巨大な古墳の雰囲気を味わうのに大変お勧めの古墳と言えます。
《参考資料》
・「天皇陵」総覧(新人物往来社)
・日本書紀(上)(講談社学術文庫)
・日本古墳大辞典(東京堂出版)
・現地説明版
🔳基本データ
所在地 :大阪府堺市北区百舌鳥西之町
墳丘規模・形状 :全長290m、後円部径156m、同高さ24m、前方部幅226mの
前方後円墳
埋葬施設 :不明
出土物 :円筒埴輪が出土している
築造時期 :5世紀後半
推定被葬者 :不明(陵墓参考地としての推定被葬者は第18代反正天皇)
アクセス :下記マップ参照ください。
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