佐紀陵山古墳(日葉酢姫命陵)
佐紀陵山古墳
さきみささぎやまこふん
盗掘により埋葬施設が明らかになった陵墓
さきみささぎやまこふん
盗掘により埋葬施設が明らかになった陵墓

佐紀陵山古墳(日葉酢媛命陵) 拝所
(南西より)
古墳探訪記244回目は奈良市の佐紀陵山古墳です。この古墳は第11代垂仁天皇の皇后である日葉酢媛命(ひばすひめのみこと)の狭木之寺間陵(さきのてらまのみささぎ)に治定されています。垂仁天皇は日葉酢媛命が亡くなった時、それまで近習の者を古墳の周りに生き埋めにして殉死させるという残酷な風習を見直して、古墳の周りに代わりに埴輪を立てるという事を初めて実施した陵墓として日本書紀に記載されています。その殉死の風習を改めるように天皇に進言したのが、大相撲の始祖といわれる野見宿禰(のみのすくね)です。

日葉酢媛命陵の標識
背後が佐紀陵山古墳 佐紀陵山古墳は大正5年に大規模な盗掘に遭い、多くの副葬品が持ち出されてしまいました。その際に荒らされた埋葬施設を復旧する際に、埋葬施設の詳細な状況が判明しています。副葬品もその復旧工事の際に再び埋め戻されているようで、文化財としても大変貴重な古墳の埋葬施設が何とか保護されたことは幸いでした。このような事があった為、通常は立入禁止で発掘調査も認められていない為、古墳の状況が全く不明な陵墓の中でも、この佐紀陵山古墳は、その埋葬施設の状況がよくわかっている珍しい陵墓として貴重な存在です。

佐紀陵山古墳 墳丘測量図
(日本古墳大辞典より)
前方部南側の周濠
(西側より) 復旧工事の際の調査によって、佐紀陵山古墳の埋葬施設について、以下のことが分かっています。古墳の全長は206m、後円部径130m、同高さ18m、前方部幅89m、同高さ12mを測る前方後円墳です。三段築成の墳丘で、墳丘表面には埴輪と葺石の存在が確認されています。後円部中央には主軸と平行に竪穴式石室が設けられていました。石室全長は8.55m、幅1.09m、高さ1.48mを測り、東西の壁は扁平な割石を小口積みにしており、南北面は高さ2m以上の大きな板石1枚で塞がれていました。天井石は5枚あり、そのうち2枚には縄掛突起が付けられていました。石室内にあったとされる木棺は腐朽して残っていなかったようですが、以下の副葬品が収められていたと記録されています。鏡5面、石製品22点(鍬形石、車輪石、石釧など)

佐紀陵山古墳 東側の周濠

佐紀陵山古墳を西側より望む
左側が後円部、右側が前方部
被葬者の日葉酢媛命については、日本書紀には、その伝承などの記載がありません。どのような経緯で日葉酢媛命の陵墓に治定されたのかは不明ですが、出土物や古墳の形状などから、4世紀後半の築造と推定されています。垂仁天皇が在位していたのは4世紀後半頃と推定されることから、古墳の築造時期的にはあまり矛盾はないようですが、文献上の記載が乏しい人物であることから、被葬者を日葉酢媛命とするのは困難なようです。しかし、文化財を破壊する行為である盗掘によって、その古墳の状況が明らかになったり、天武・持統天皇陵(野口王墓古墳)のように鎌倉時代の盗掘の記録によって被葬者が特定されるなど、皮肉な事に盗掘という行為が、考古学上の貴重な情報をもたらす、という事があるようです。佐紀陵山古墳は詳細が不明なことが多い陵墓の中でも、埋葬施設の詳細が判明しているという点で、陵墓の中でも極めて特異な存在と言えるでしょう。

佐紀陵山古墳 全景
(南西側よりパノラマ撮影) 《参考資料》
・日本古墳大辞典(東京堂出版)
・「天皇陵」総覧(新人物往来社)
・大和の古墳を語る(六興出版)
・「天皇陵」総覧(新人物往来社)
・大和の古墳を語る(六興出版)
🔳基本データ
所在地 :奈良県奈良市山陵町
墳丘規模・形状 :全長206m、後円部径130m、前方部幅89mの前方後円墳
埋葬施設 :後円部中央に竪穴式石室
出土物 :鏡、石製品、埴輪(竪穴式石室上には蓋(きぬがさ)形埴輪あり)
築造時期 :4世紀末後半頃
推定被葬者 :不明(日葉酢媛命に治定されているが、決め手に欠く)
所在地 :奈良県奈良市山陵町
墳丘規模・形状 :全長206m、後円部径130m、前方部幅89mの前方後円墳
埋葬施設 :後円部中央に竪穴式石室
出土物 :鏡、石製品、埴輪(竪穴式石室上には蓋(きぬがさ)形埴輪あり)
築造時期 :4世紀末後半頃
推定被葬者 :不明(日葉酢媛命に治定されているが、決め手に欠く)
アクセス :下記マップ参照ください。
このブログへのコメントはmuragonユーザー限定です。