ぶらりと歴史散歩

ぶらりと歴史に関係のある土地を訪ね歩き、気ままに記事にしていこうと思います。

ウワナベ古墳

ぶらりと歴史散歩
ウワナベ古墳
うわなべこふん
佐紀盾列古墳群東端の巨大前方後円墳

ウワナベ古墳 全景

古墳周囲には幅の広い周濠が巡り、満々と水を湛えています
(南東側より)

 古墳探訪記238回目は奈良市のウワナベ古墳です。奈良市北部にある佐紀盾列(さきたてなみ)古墳群の東端に築かれた巨大な前方後円墳で、全長256m、後円部径129m、後円部高さ20m、前方部幅127m、前方部高さ20mを測り、前方部を南側に向けています。墳丘は3段に築かれていて、墳丘の西側に造り出しを持ち、古墳の周囲には幅の広い周濠が巡ります。(写真参照)

ウワナベ古墳 墳丘測量図

墳丘西側に造り出しが明瞭に認められます

(日本古墳大辞典より)

ウワナベ古墳 前方部を南側から望む


ウワナベ古墳 全景

(南西側より)

ウワナベ古墳 全景

(北西側よりパノラマ撮影)

 昭和44年(1969年)の東側外堤の発掘調査では、鰭(ひれ)付円筒埴輪を主とする埴輪列の発掘調査が行われました。また墳丘の東側に1基、北側に5基の陪塚が存在していましたが、現在は造成工事などで破壊され、残っていません。その陪塚の一つである大和6号墳からは多量の鉄鋌(てってい)が出土し、出土物からこの古墳の被葬者が朝鮮半島と結びつきが強い被葬者像が浮かび上がっています。
 現在、ウワナベ古墳は宮内庁により宇和奈辺(うわなべ)陵墓参考地とされ、墳丘は宮内庁の管理下にあって、発掘調査などはできません。陵墓参考地とされている想定被葬者は仁徳天皇の2番目の皇后である八田皇女(やたのひめみこ)とされています。八田皇女は仁徳天皇の2番目の皇后で、仁徳天皇が皇后である磐之媛命(いわのひめのみこと)の留守中に招き入れられ、それに怒った磐之媛命は宮中には戻らず、外出先の山城国で亡くなり、その後、正式の皇后として迎えられたという人物です。

ウワナベ古墳 後円部を望む

(北側よりパノラマ撮影)

ウワナベ古墳 北側の周濠


 現在、仁徳天皇の最初の皇后である磐之媛命の陵墓はウワナベ古墳の北西すぐのところにあるヒシアゲ古墳(後日紹介)が治定されていますが、ウワナベ古墳の陪塚(大和6号墳)に朝鮮半島との結びつきを想定させる遺物があったこと、磐之媛命の父親である葛城襲津彦(かつらぎのそつひこ)が朝鮮半島との外交に活躍した人物であることから、ウワナベ古墳の被葬者を磐之媛命とする説もあります。
 いずれにしても、巨大古墳がこれだけ密集している古墳群は佐紀盾列古墳群以外には百舌鳥・古市古墳群だけです。どの巨大古墳も大王級あるいはそれに匹敵する被葬者が想定され、あまりにも近接して古墳が築かれている為に、それぞれの古墳の被葬者を文献上の人物に特定するのは難しいようです。

 ウワナベ古墳は令和2年(2020年)に宮内庁、奈良県、奈良市による合同の発掘調査が墳丘の端、あるいは周濠で実施され、古墳の末端である基底石の位置から、墳丘全長が従来の256mから、270m~280mに及ぶことが分かりました。この結果、同じ佐紀盾列古墳群の北西端に位置する五社神(ごさし)古墳(神功皇后陵)よりも大きい古墳となり、佐紀盾列古墳で最大の古墳となっています。(全国で第12位の大きさ)。
 ウワナベ古墳はこれだけの巨大古墳で、知名度のある古墳であるにもかかわらず、古墳の周囲に説明版が無い事が残念でした。周囲(特に南側~西側にかけて)から古墳の全景を眺めることができ、古墳散策には最適の散策路が巡っているにもかかわらず、百舌鳥・古市古墳群のようになぜ説明版が設置されていないのか?と疑問の残る古墳ではありました。

ウワナベ古墳 全景

(西側よりパノラマ撮影)

《参考資料》
・日本古墳大辞典(東京堂出版)

🔳基本データ

所在地     :奈良県奈良市法華寺町
墳丘規模・形状 :全長約270~280m、後円部高さ20mの前方後方墳(全国第12位の規模)
埋葬施設    :不明だが、時期的には竪穴式石室の可能性?
出土物     :古墳外堤から円筒埴輪や鰭付埴輪が出土。墳丘表面に葺石
築造時期    :5世紀半ば頃
推定被葬者   :宮内庁は八田皇女(仁徳天皇皇后)を想定。磐之媛命とする説もあり。
アクセス    :下記マップ参照ください。

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