ぶらりと歴史散歩

ぶらりと歴史に関係のある土地を訪ね歩き、気ままに記事にしていこうと思います。

西殿塚古墳(手白香皇女陵)

ぶらりと歴史散歩
西殿塚古墳(手白香皇女陵)
にしとのつかこふん(たしらかひめみこのみささぎ)
国内最古級の大前方後円墳

西殿塚古墳 遠景(中央の森)

手前が前方部、奥側が後円部
南西より

 古墳探訪記179回目は奈良県天理市の西殿塚古墳です。東の龍王山から西に延びる丘陵上に築かれた前方後円墳です。宮内庁によって第26代継体天皇皇后の手白香皇女(たしらかのひめみこ)の衾田陵(ふすまだりょう)に治定されています。周辺一帯に散在する大和(おおやまと)古墳群の中でも最も山側の高所に築かれています。西殿塚古墳のすぐ東側には隣接して、同じj前方後円墳である東殿塚古墳が築かれています。手白香皇女の陵とされている根拠は平安時代の延喜式による記述によるものであり、守戸(陵を管理する役人)を崇神天皇の陵と兼務させている、という記述が基になっています。
 西殿塚古墳は全長約230、後円部径約145m、同高さ16m、前方部幅約130m、高さ12mを測り、大和古墳群の中で最大の大きさとなり、全国でも24番目の大きさの古墳です。墳丘は東側で3段、西側で4段に築造されており、後円部と前方部それぞれの墳頂部に方形壇が存在します。現在は手白香皇女陵として宮内庁の管理下にありますが、平成元年(1989年)に宮内庁書陵部により、墳丘の調査が実施されました。その結果、墳丘の各所から特殊器台形土器や特殊器台形埴輪・特殊壺形埴輪などの遺物が採集されています。          
                       

               西殿塚古墳 全景

              南西側よりパノラマ撮影

             手前が前方部、奥側が後円部

     

西殿塚古墳 南側の拝所


                南側拝所付近をのぞむ

                    
                     

    

               西殿塚古墳 墳丘測量図

        後円部と前方部の頂部に方形壇があることが分かります
              (「天皇陵」総覧より)


西殿塚古墳 航空写真

大和古墳群中最大の墳丘規模を持ちます

 西殿塚古墳はさらに平成5年~7年(1993年~1995年)にかけて、天理市教育委員会によって墳丘周辺の範囲確認調査が行われました。この調査で、墳丘東側のくびれ部と前方部東裾において墳丘斜面の基底石と掘割(ほりわり:周濠に相当する落ち込み)の存在が確認されました。またこの調査の際にも有段口縁が特徴の特殊円筒埴輪など多量の初期古墳を示す埴輪が出土しました。(有段口縁埴輪:口縁部に段差を持ちながら外側に反る形状をした埴輪の事)

西殿塚古墳に沿って巡る道(古墳東側)


後円部の墳丘 墳丘裾をめぐる東側沿道よりのぞむ

段築の状況が分かます

 現在、西殿塚古墳は継体天皇皇后の手白香皇女(たしらかのひめみこ)の陵墓に治定されていますが、継体天皇の在位したのは6世紀ころです。この古墳は撥型に開く形状をした墳丘の形態や初期の古墳である事を示す特殊器台土器などが出土していることから、古墳の築造時期は3世紀後半頃と推定されており、最古級の前方後円墳とされる箸墓古墳に続く頃の古墳とされています。したがって6世紀頃の手白香皇女の墓としては時代が全く符合しません。手白香皇女の陵墓としている宮内庁の治定は、かなり疑わしいと言えます。時期的に箸墓古墳に後続する古墳に位置付けられることから、卑弥呼の後に、国を治めた台与(とよ)の墓ではないか、とする説があります。それでは手白香皇女の真陵はどこか?という事になりますが、西殿塚古墳から北東200mのところに所在する西山塚古墳が考古学的にも符合するものとして挙げられています。台与については、トヨという音の共通性により、崇神天皇の皇女である「豊鍬入姫尊(とよすきいりひめのみこと)」に当てる説があります。この説を取ると、西殿塚古墳は崇神天皇皇女である豊鍬入姫命陵であるという推測もできます。この陵墓が崇神天皇陵に比較的近くに位置することからも、この説はあながち的外れとも言えないかもしれません。このような事を考えながら、次の目的地である西山塚古墳に向かったのでした。


西殿塚古墳 全景

北西側よりパノラマ撮影

手前が後円部、奥側が前方部


《参考資料》
・現地説明版
・日本古墳大辞典(東京堂出版)
・「天皇陵」総覧(新人物往来社)
・西殿塚古墳・東殿塚古墳2000(天理市教育委員会)       

🔳基本データ
所在地     :奈良県天理市萱生町
墳丘規模・形状 :全長230m、後円部径140m、同高さ16mの前方後円墳
埋葬施設    :後円部と前方部の墳頂部に方形の壇が認められ、ここに埋葬施設(竪穴
         式石室?)が存在する可能性あり
出土物     :特殊器台土器、特殊器台埴輪など
築造時期    :3世紀後半頃
推定被葬者   :不明だが、魏志倭人伝における卑弥呼の宗女である台与の説あり
         (宮内庁治定の手白香皇女の年代とは築造時期が大きく異なる)
アクセス    :下記マップ参照ください。