高屋八幡山古墳(春日山田皇女陵)
高屋八幡山古墳(春日山田皇女陵)
たかやはちまんやまこふん
たかやはちまんやまこふん
元は前方後円墳であった方形墳
高屋八幡山古墳については、中世の戦国時代に高屋城(現在の安閑天皇陵上にあった)の築城の際にに破壊、削平され、現在のような方形墳に変貌してしまった可能性が高い、と言われています。
周辺の発掘調査によって出土した遺物としては、円筒埴輪、朝顔形埴輪、家形や人形の形象埴阿波が出土しています。出土した埴輪から、古墳の築造年代は6世紀初頭頃と推定されています。

高屋八幡山古墳 拝所
南側より
古墳探訪記158回目は大阪府羽曳野市の高屋八幡山古墳です。以前(61回目)紹介した高屋築山古墳(安閑天皇陵)の南側に存在し、安閑天皇の皇后である春日山田皇女(かすがのやまだのひめみこ)の古市高屋陵(ふるいちのたかやのみささぎ)に治定されています。現在は一辺約30~40m、高さ約7mの方形墳となっていますが、周辺の発掘調査によって元々は前方部を北側に向けた全長85mの前方後円墳であった事が判明しています。
高屋八幡山古墳 全景
(北西側よりのぞむ)高屋八幡山古墳については、中世の戦国時代に高屋城(現在の安閑天皇陵上にあった)の築城の際にに破壊、削平され、現在のような方形墳に変貌してしまった可能性が高い、と言われています。
周辺の発掘調査によって出土した遺物としては、円筒埴輪、朝顔形埴輪、家形や人形の形象埴阿波が出土しています。出土した埴輪から、古墳の築造年代は6世紀初頭頃と推定されています。

拝所への入口
西側より
古市八幡山古墳は元は前方後円墳であり、築造年代も6世紀初頭という事から、安閑天皇の皇后である春日山田皇女の陵墓としても矛盾はありませんが、日本書紀には安閑天皇陵には、皇后である春日山田皇女と天皇の妹である神前皇女(かんさきのひめみこ)が合葬されたと記述がありますので、日本書紀の記述と現在の陵墓の状況とは矛盾していることになります。春日山田皇女の陵墓が安閑天皇陵と別に存在しているという記載は平安時代中期に編纂された延喜式の中に記載されており、現在の陵墓形態については延喜式の記載に合わせて治定されているようです。春日山田皇女の陵墓としても時期的には矛盾はありませんが、日本書記の記述とは矛盾している状況であり、これが被葬者を絞り込む際の障壁になっているようです。安閑天皇陵の石室に3人が埋葬されている状況が分かれば、この問題も解決するのかもしれませんね。
《参考資料》
・「天皇陵」総覧(新人物往来社)
🔳基本データ
所在地 :大阪府羽曳野市高屋
墳丘規模・形状 :現状は一辺約40m程度の方形墳(元は全長85mの前方後円墳)
埋葬施設 :不明
出土物 :不明
築造時期 :6世紀初頭
推定被葬者 :不明(安閑天皇皇后の春日山田皇女の陵に治定されているが
所在地 :大阪府羽曳野市高屋
墳丘規模・形状 :現状は一辺約40m程度の方形墳(元は全長85mの前方後円墳)
埋葬施設 :不明
出土物 :不明
築造時期 :6世紀初頭
推定被葬者 :不明(安閑天皇皇后の春日山田皇女の陵に治定されているが
書記の記載と矛盾)
アクセス :下記マップ参照ください。
アクセス :下記マップ参照ください。
このブログへのコメントはmuragonユーザー限定です。