長屋王墓
長屋王墓
ながやおうはか
ながやおうはか
奈良時代の悲劇伝える墳墓
長屋王墓 全景
長屋王墓 全景
古墳探訪記117回目は奈良県生駒郡平群町にある長屋王墓です。長屋王は奈良時代の皇親政治家で、神亀(じんき)元年(724年)に最高職である左大臣に就任し、時の聖武天皇を補佐して政治を行いました。長屋王は壬申の乱で活躍した高市(たけち)皇子の長子で、夫人の吉備内親王(元正天皇の妹)と共に、天武天皇の孫にあたります。しかし神亀6年(729年)の2月10日に皇位継承問題に絡んで、謀反の疑いを掛けられ、館を兵で取り囲まれて、夫人の吉備内親王、4人の皇子と共に自害に追い込まれてしまいます。これを日本史では長屋王の変と呼び、奈良時代の一大事変となっています。この事変は聖武天皇を中心とする藤原氏の勢力が、自身の勢力の妨げとなる長屋王の存在を消すために仕組んだ策略であろうと推定されているようです。長屋王の変の後、神亀6年(729年)8月には、藤原不比等の娘である光明子(こうみょうし)が皇后(光明皇后)となります。しかし長屋王を滅ぼした藤原氏の勢力(藤原四兄弟:房前(ふささき)、宇合(うまかい)、麻呂(まろ)、武智麻呂(むちまろ))は4人共、当時流行した天然痘にかかり、737年に4人共亡くなってしまいます。この4人の死を当時の人は長屋王の祟りであろうと噂したようです。
《参考資料》
・続日本紀(上)全現代語訳(講談社学術文庫)
・平群町ホームページ
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🔳基本データ
所在地 :奈良県生駒郡平群町梨本
墳丘規模・形状 :直径15m、高さ1.5mの円墳
埋葬施設 :不明
出土物 :不明
築造時期 :8世紀前半?
推定被葬者 :長屋王(伝承)
アクセス :下記マップ参照ください。



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