ぶらりと歴史散歩

ぶらりと歴史に関係のある土地を訪ね歩き、気ままに記事にしていこうと思います。

箸墓古墳

ぶらりと歴史散歩
箸墓古墳(倭迹迹日百襲姫命墓)
はしはかこふん(やまとととひももそひめのみことはか)
古代史の謎を秘めた大前方後円墳

箸墓古墳 全景

北側より

 古墳探訪記71回目は奈良県桜井市の箸墓古墳です。この古墳は先に紹介した纏向石塚古墳や勝山古墳、矢塚古墳からなる纏向古墳群の中でも最も南側の古墳で規模が突出して大きな古墳です。纏向遺跡が邪馬台国であると考える(邪馬台国大和説)を唱える学者の方々の中には、この墓を卑弥呼の墓と考える説があるようです。

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箸墓古墳
北側より墳丘を望む

 箸墓古墳は全長275m、後円部径150m、高さ29.4m、前方部幅128m、高さ16mを測る5段築成の巨大な前方後円墳で、全国で第11位の規模を誇ります。前方部は三味線の撥(ばち)の形をしています。周濠の有無や内部施設は不明ですが、後円部の墳頂部からは特殊器台形埴輪片や壺形埴輪片、前方部の墳頂部付近からは有段口縁の底部穿孔壺形土器が採集されています。

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箸墓古墳の拝所より
箸墓古墳は第7代孝霊天皇皇女 倭迹迹日百襲姫命の大市墓に治定されています 

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箸墓古墳の墳丘測量図と前方部から採集された有段口縁底部穿孔壺形土器

(日本古墳大辞典より)

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箸墓古墳南側より墳丘を望む
墳丘南部には古墳に沿うように道があり、墳丘の巨大さが分かります

 この古墳は第7代孝霊天皇皇女の倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)の墓として宮内庁から陵墓指定されています。倭迹迹日百襲姫命については日本書紀の崇神天皇の記事において、「聡明でよく物事を予見された」との記載があり、巫女的な存在として記されています。また、その後はさらに伝説的な記事が並びます。「倭迹迹日百襲姫命は大物主神(おおものぬしのみこと)の妻となった。けれどもその神は昼は来ないで、夜だけやって来た。倭迹迹日百襲姫命は夫に言った。「あなたはいつも昼はおいでにならぬので、そのお顔を見ることができません。どうかもうしばらく留まって下さい。朝になったらうるわしいお姿を見られるでしょうから」と。大物主命は答えて「もっともなことである。あしたの朝あなたの櫛箱(くしばこ)に入っていよう。どうか私の形に驚かないように」と。倭迹迹日百襲姫命は変に思った。明けるのを待って櫛箱を見ると、まことにうるわしい小蛇(こおろち)が入っていた。その長さ太さは衣紐(したひも)ほどであった。驚いて叫んだ。すると大物主命は恥じて、たちまち人の形となった。そして「お前は我慢できなくて、私に恥をかかせた・今度は私がお前にはずかしいめをさせよう」といい。大空を踏んで御諸山(みもろやま:三輪山)に登られた。倭迹迹日百襲姫命は仰ぎ見て悔い、どすんと坐りこんだ。その時、箸で陰部を突いて死んでしまわれた。それで大市に葬った。ときの人はその墓を名づけて箸墓という。その墓は昼は人が造り、夜は神が造った。大坂山の石を運んで造った。山から墓に到るまで、人民が連なって手渡しにして運んだ。」
 上記の日本書紀の記載のように、倭迹迹日百襲姫命は伝説の色の濃い人物ではありますが、巫女的な女性であることから、倭迹迹日百襲姫命を卑弥呼そのものではないかと考える説があります。この古墳の築造年代が4世紀半ばころであることを考えますと、卑弥呼の没年と想定される3世紀中頃とは符合せず、箸墓古墳が卑弥呼の墓であるという説は否定も肯定もできない、というところが現状のようです。しかし、安本美典氏はその著「巨大古墳の主がわかった」の中で、箸墓古墳が卑弥呼の墓であるという説は肯定していませんでしたが、倭迹迹日百襲姫の墓である可能性は7割ほどはある、と述べられています。この古墳は発掘調査が為されれば、卑弥呼の墓であるか否かを判断するより詳細な資料が得られると思われます。数ある陵墓の中でも発掘によって日本古代史へ最も大きな影響を与える可能性のある陵墓と言っても過言ではないのではないでしょうか。

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箸墓古墳全景(ホケノ山古墳より望む)
古代史の謎を秘めた古墳です。陵墓ではありますが、本格的な発掘調査が特に期待される古墳です

《参考資料》
・日本古墳大辞典(東京堂出版)
・大和の古墳を語る(六興出版)
・全現代語訳 日本書紀(講談社学術文庫)
・巨大古墳の主が分かった!(安本美典著 JICC出版)

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基本データ
所在地     :奈良県桜井市箸中
墳丘規模・形状 :全長275m、後円部径150m、高さ29.4m、前方部幅128m、高さ16mの前方後円墳
埋葬施設    :不明(年代的には竪穴式石室では?)
出土物     :特殊器台形埴輪、壺形埴輪、壺形土器片など
築造時期    :4世紀中頃
推定被葬者   :倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)
         第7代孝霊天皇の皇女とありますが、崇神天皇の事績記事から、第8代孝元天皇の皇
         女では?(崇神天皇の姑(おば:父=開化天皇の姉妹)との記載あり)
アクセス    :下記マップ参照ください。