仲津山古墳(仲津姫陵)
仲津山古墳(仲津姫陵)
なかつやまこふん
なかつやまこふん
古市古墳群中第2位の規模を誇る大前方後円墳
仲津山古墳の拝所(南側より)
応神天皇の皇后 仲津姫命陵として宮内庁に管理されています
仲津山古墳の拝所(南側より)
応神天皇の皇后 仲津姫命陵として宮内庁に管理されています
古墳探訪記143回目は大阪府藤井寺市の仲津山古墳です。この古墳は第15代応神天皇の皇后である仲津姫命(なかつひめのみこと)の仲津山陵(なかつやまのみささぎ)に治定されています。
仲津山古墳は世界遺産に指定されている古市古墳群を構成する古墳の一つで、誉田山古墳(応神天皇陵:100回目に紹介)の北東、古室山古墳(132回目に紹介)のすぐ北に位置しています。全長290m、後円部径170m、後円部の高さ26m、前方部幅193m、前方部高さ23mで古市古墳群の中では、誉田山古墳に次ぎ、2番目、全国でも9番目の規模を誇ります。墳丘は3段築成で葺石と埴輪の存在が確認されています。また、くびれ部には造り出しがあります。(下記、墳丘測量図参照)
墳丘が整然として残り、3段築成で造り出しの存在が明瞭に分かります 仲津山古墳は世界遺産に指定されている古市古墳群を構成する古墳の一つで、誉田山古墳(応神天皇陵:100回目に紹介)の北東、古室山古墳(132回目に紹介)のすぐ北に位置しています。全長290m、後円部径170m、後円部の高さ26m、前方部幅193m、前方部高さ23mで古市古墳群の中では、誉田山古墳に次ぎ、2番目、全国でも9番目の規模を誇ります。墳丘は3段築成で葺石と埴輪の存在が確認されています。また、くびれ部には造り出しがあります。(下記、墳丘測量図参照)
(現地説明版より)
(現地説明版より)
外堤部の発掘調査で出土した円筒埴輪列
(現地説明版より)
仲津山古墳 墳丘
(南西側より 奥側が後円部、手前側が前方部)
仲津山古墳 墳丘
(北東側より 手前が後円部、奥側が前方部)
周濠に沿った道から墳丘を眺めると、全国第9位の古墳の巨大さを実感できます
仲津山古墳は応神天皇陵とされている誉田山古墳に先行する古墳であることから、応神天皇の皇后である仲津姫命の陵ではなく、父の仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)の陵墓ではないか、とする説があります。現在の仲哀天皇陵とされている岡ミサンザイ古墳は5世紀末頃の築造と推定され、仲哀天皇が在位したと推定される4世紀末~5世紀初頭とは年代が離れていることも、この説をより有力にする理由となっています。藤井寺市から羽曳野市一帯の古市古墳群には大王級の古墳が密集して複数存在している事から、応神天皇陵以外の古墳については、どの天皇の墓なのかが混乱してしまっている、というのが現状でしょう。空白の4世紀の天皇陵の治定については、発掘調査を実施しない限り、不明としか言いようがないのが、現状でしょうね。
《参考資料》
・「天皇陵」総覧(新人物往来社)
・「天皇陵」総覧(新人物往来社)
・羽曳野市ホームページ
🔳基本データ
所在地 :大阪府藤井寺市沢田
墳丘規模・形状 :全長290m、後円部径170m、同高さ26m、前方部幅193m、同高さ23m
埋葬施設 :不明(石棺や勾玉の出土が伝えられる)
出土物 :外堤部から円筒埴輪
築造時期 :4世紀末~5世紀初頭
推定被葬者 :応神天皇の皇后の仲津姫命(なかつひめのみこと)とされているが、
仲哀天皇陵説もあり。
アクセス :下記マップ参照ください。
所在地 :大阪府藤井寺市沢田
墳丘規模・形状 :全長290m、後円部径170m、同高さ26m、前方部幅193m、同高さ23m
埋葬施設 :不明(石棺や勾玉の出土が伝えられる)
出土物 :外堤部から円筒埴輪
築造時期 :4世紀末~5世紀初頭
推定被葬者 :応神天皇の皇后の仲津姫命(なかつひめのみこと)とされているが、
仲哀天皇陵説もあり。
アクセス :下記マップ参照ください。



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