西都原古墳群
西都原古墳群
さいとばるこふんぐん
九州を代表する大古墳群

鬼の窟古墳 全景(2007.08.11撮影)
西都原古墳群の中で最後の首長墓と考えられています
古墳探訪記77回目は宮崎県西都市の西都原古墳群です。西都原古墳群は九州を代表する古墳群で、東西2.6km、南北4.2km、標高50~80mの台地に3世紀後半から7世紀前半にかけての古墳が300基ほど点在しています。鬼の窟古墳は古墳群の中心に位置し、唯一横穴式石室が開口していることから、古墳群の中でも目立つ存在です。今回は西都原古墳群の中でも、鬼の窟古墳(西都原206号墳)と男狭穂塚(おさほづか)古墳、女狭穂塚(めさほづか)古墳を紹介します。

鬼の窟古墳の石室(2007.08.11撮影)
西都原古墳群の中で唯一開口する横穴式石室を持っています
鬼の窟古墳は外堤と二重の周溝を有する直径37m、高さ7.3mの2段築成の円墳で、墳丘表面には葺石はありません。古墳群で唯一の開口した横穴式石室を有し、巨石を積み上げた石室や羨道からは、木棺に使用したと考えられる鉄釘や馬具、須恵器、土師器などが出土し、3回以上の埋葬が行われたと推定されています。鬼の窟古墳は、西都原古墳群の最後の首長墓と考えられており、古墳の名前は、木花開耶姫(このはなさくやひめ)に恋した鬼が、一晩のうちに窟(石室)を造ったという伝説に由来しているそうです。(木花開耶姫は瓊瓊杵尊(ににぎのみこと:神武天皇の曽祖父)の妃)
鬼の窟古墳の中心には、両袖式の横穴式石室があります。石室は玄室の長さ4.8m、幅1.75~2.45m、高さ2.15m、羨道の長さ7.5m、幅1.8m、高さ1.8mを測ります。石室の床面には全面に河原石が敷き詰められており、中心には排水溝があります。羨道部の床面の河原石には赤色の顔料が付着しているものもあります。鉄釘が出土していますので組合せ式の箱型木棺が置かれていたと推定されます。
古墳築造時の表面の姿は土の黒・茶・赤の色ですが、保護のために芝が貼られましたので、現在は緑色の古墳になりました。なお、外堤の下には河原石で暗渠(あんきょ:排水用の溝)を設けており、外に見える砂岩の石は暗渠の出口の蓋石になります。
平成7年の調査により、埋もれた古墳、古墳の周りにある溝、古墳の周りを巡る土手の造られた当時の姿が確認され、さらに土手の外側にも溝があることが新しくわかりました。現在の鬼の窟古墳は、造られた当時の墳丘面を削らないように、慎重にすき取り工事を実施し、その後に土を盛って芝を張り、現在の姿となっています。

復元整備前の鬼の窟古墳
(現地説明版より)

鬼の窟古墳の墳丘(石室開口部の上側)
復元整備によって表面に芝が貼られました。(2007.08.11撮影)

鬼の窟古墳 遠望(2007.08.11撮影)
(中央 外堤に囲まれた墳丘)
西都原古墳群には、古墳群最大の規模を誇る男狭穂塚(おさほづか)古墳と女狭穂塚(めさほづか)古墳があります。両古墳とも陵墓参考地に指定され、古墳の領域内には入る事ができず、周囲から眺める事しかできませんが、日向地方の古代史を考える上で、外すことができない重要な古墳です。

男狭穂塚古墳・女狭穂塚古墳の拝所(2007.08.11撮影)
陵墓参考地に治定され、領域内は立入禁止です・・・

男狭穂塚古墳・女狭穂塚古墳が存在する領域(2007.08.11撮影)
立入禁止なので、外周から望むしかありません・・・
男狭穂塚古墳・女狭穂塚古墳 平面図
(日本古墳大辞典より)
男狭穂塚古墳は全長176mの日本最大の帆立貝形古墳です。築造時期は5世紀前半です。女狭穂塚古墳は全長176mの九州最大の前方後円墳で、こちらも築造時期は5世紀前半です。出土遺物には円筒埴輪や形象埴輪(家形、盾形、冑形、鶏など)があります。これだけの規模の古墳なので、被葬者についても記紀などの文献上に記された人物との関連性が指摘されており、1895年に宮内庁から陵墓参考地に治定されています。
男狭穂塚古墳の被葬者としては神武天皇の曽祖父である瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が挙げられています。しかし神武天皇よりもさらに昔の神代の人物であり、築造が5世紀前半と神武天皇の時代(実在すると考えれば、3世紀頃)と時代が合わないことから、被葬者としては確定できなかったものと考えられます。瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の陵墓はすでに鹿児島県の可愛山陵(えのみささぎ)に治定されています。女狭穂塚古墳の被葬者については、男狭穂塚古墳の被葬者との関係が濃厚であり、瓊瓊杵尊の妃である木花開耶姫(このはなさくやひめ)を挙げる説があります。いずれも神代の記録が曖昧な時代の人物であり、被葬者については皇族の関係者ではあったかもしれませんが、迷宮入りというしかない状況です。陵墓参考地とされているのは、その為でしょう。
西都原古墳群には、上記古墳の他に、多数の大小の前方後円墳や円墳が点在しています。古墳群内には西都原考古博物館も併設されていて、古墳群の詳細な紹介がされており、是非一緒に訪問されることをお勧めします。私の2007年の訪問時には、古墳群の一部しか訪問できませんでしたが、またじっくり訪ねてみたいと思っています。

西都原考古博物館(2007.08.11撮影)
古墳の石室をイメージした特徴的な外観の建物です
《参考資料》
・日本古墳大辞典(東京堂出版)
・現地説明版
・西都原考古博物館ホームページ(西都原古墳群の概要は以下のURLからご覧いただけます。)
🔳基本データ
所在地 :宮崎県西都市三宅
墳丘規模・形状 :各古墳については上記ホームページ参照
埋葬施設 :各古墳については上記ホームページ参照
出土物 :各古墳については上記ホームページ参照
築造時期 :3世紀~7世紀初旬
推定被葬者 :不明(日向地方を支配した皇族関係者、豪族?)
アクセス :下記マップ参照ください。

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